清流のように生きたい、と。

昨日、河北新報社の取材を受けた。
月曜日夕刊一面の「一問逸答」という記事だそう。
記者のYさんは気さくで大人なのに可愛い雰囲気を持った方。
お陰で「らしく」話ができた。と思う。
その話の中で、「自分は清流でありたい」と私は言った。
自分の中での意味は深い、が、
実際そうでは居られないことに直面するケースも多々ある。
日々淡々と清流を目差し、私は行くのだと
あらためて感じた一日でした。


そういえば、18才の時、
小原流の教授になるときのこと。
普通の場合、雅号(免許皆伝の名前)は
師匠につけてもらうか、家元の一字をいただいてつけたりする。
が、KYというか、アウトローというのか、
恐れ多くも私は、自分でつけちまった(笑)
その名も「美水(みすい)」。
やはりその歳で、「美しい水」が閃いていたのですね。
不思議、でもあり、当然でもあるかのようです。


良かったら、5月19日河北新報夕刊を見てけさいん。



お花の生徒さんが習っている琴の師匠が骨折で入院された。
元気が出るお見舞いを、とのリクエストで作った作品。
ピーちゃんがニッコリ微笑んでいます。