本心に蓋して生きている

「 砂漠に一人立たされたみたいな自分がいる、そんな時があります。 」
ある女性との会話で、彼女から出た言葉です。
もちろん周りに人がいて、家族がいての状態のなかで、このように感じるのはなぜなのでしょう。
自分と周りとののパイプが全くないのか、あっても気づいていないのか。
いずれ彼女はこんなとき孤独で、恐怖の中にいるのに違いないでしょう。
私の前にいる彼女は、優しい心を持ち、自分自身を知っている良識ある素敵な女性です。
「 この頃本音に蓋している。 」ともおっしゃられていた。


人の本音は表現が難しいです。
本音は確たるモノではなく、会話の次第では変化して良いものと言う思いで言葉にしているはず、私もそう。
本音のキャッチボールすることでで間違いなく本音を言う価値は上がってしかるべき、と私は思うがいかが?
時には表し方が上手く行かずに誤解され、否定されたり叱咤されたりします。
本音を出すことで怖いのは、否定の返却なので、これが続けば人は本音に蓋をし、仮面を付けることを習慣にするでしょう。
この習慣は、あきらめることにつながり、本音を言わない姿は、いつしかその人自身となり、誤解の中で生きていくという悲しいことになってしまうかも知れないのです。
本音のないところに信頼のパイプはつながらないので ( いや、片方はつながっていると誤解されているかもね ) 本人はとても寂しい環境にいることになります。


彼女はどうなのでしょう?
原因は一つではないでしょうから、まず自分で蓋をした本音をまさぐりながら、自分の音を奏でてみるのが始まりかな。
しっかりと奏でられるようになったら、大切な人に聴かせてあげましょう。
さて反響はどうですか?
もし相手に違って伝わっていそうなら、今度はこんな風にと編曲をして奏でてみてはいかが。
あきらめないでやり続けてみてね。
きっとあなたらしい奏法があるはずです。
それを見つけたときに天使は微笑む。
これ読んでいたらやってみてね。
大好きなあなたへ。

            
私は本音を有効活用したいと思っている。
なかなか上手くは行かないけれど、本音と賢く向き合って、自分に正直に生きたいです。