役に立つ

動物の行動は三つの本能、生存本能、種存本能、そして存在本能に基づいていると聞いたことがある。
ヒトの場合さらに「役に立ちたい」本能があるそうです。
自分もそれが言動に顕著だと思う。この場合特にプライベートに限ってのこと。
しかし他人様の役に立とうとする言動には、思いがけない責任が発生していることに気づいた。
過去にも、良かれとの思いでかかわって責任を笠に攻められることもしばしば。
それでは返って申し訳ない。
中途半端なお役立ちはなるべくしないことにしよう。
それが相手にとっての本当のお役立ちかもしれない。


それから、いまさら気づいてもちと遅いかもしれないけれど
相手にとって私が「何らかの役に立つかも知れないから」
が理由でお付き合いいただくのは、お互い思い違いが発生し、
正しい信頼を築けないことが多かったかも知れません。
そして一方通行の信頼関係は私自身の真の存在本能に反するので、
これからは私と相互通行な信頼の種があるや無しかくらいは判断しつつ
お付き合いすることを人生の地図の標識に加えよっと。


たとえ信頼の種が見いだせなくても、
相関図のすべてのヒトの中にある魅力を見出すチカラを
養うように心がけることは大切にしていきたい。
それができずに後悔すること、多いからね。


お役に立ちたいという無償の愛も、
自己満足の「無償の愛のつもり」だったり
相手の解釈によっては、時に仇になる。
愛するにも資格、資質があるのかしらん。
ん?経験かな。