人生って渋抜き!?
先日書いた「淡いのゾーン」という言葉は、
人間と自然とを分けることのない共存的についてだった。
昨日の体験は原因と結果、あるいは因縁、またはカルマとも言われる、
自分が持って産まれた縁起と人生との淡いのゾーンについて考えさせられた。
この場合の縁起( 因縁生起の略 )とは、物事の起こり、起源や由来のこと。
前世のみを人生の縁起と決めつけるのはやや危険だが、
よくよく思い出してみれば、幼い頃や経験のない頃すでに
ある程度の「決まり事」を持っていたことに気づく。
それから、理性によって制御できない心の働き(業・ゴウ)もあるね。
それが善いか悪いかはなく魂に動かされているような気がする、ということ。
人生で起きていることはその原因に前世の縁が絡んでいる、
それを否めないような不思議なこと、あり過ぎるし。
何故起きるのかわからない一見ネガな出来事も、
狭い視点の、低い視点の思考だと気づかないが、
それは広く高く視点を持つと、あら不思議、人生の幸福につながっていたりする。
ネガ事件勃発は、幸福行きのメッセージだと思おう。
そしてそこに関わる人は、私の神のメッセンジャー。
原因を作ったのは自分、ネガは友達、並んで生きようか。
渋柿の渋を抜くことを「淡す」と言うが。
さしずめ人生ってこの「淡す」なのかもね。
カルマとの「淡いのゾーン」で生きる覚悟はできた。